師 匠 其の壱
——たった一人で全宇宙を敵に回し、戦い続けるお前の心情など、たかが地球の、塵の如き国家群にすら一人で立ち向かえない腰抜けの卑怯者、ゴミムシにも劣る日本人に理解できるはずはない——其の日、まだ小学校の低学年に過ぎなかった私は父に連れられ長良川に鵜飼いを見に来ていた。夜になり篝火が焚かれ、一挙に闇夜が深くなると漁が始まり、六艘ばかりの船が目前を行ったり来たりするのだが、何が何だか分からぬ内に魚は順調に水揚げされ、目の良い観客の内にはしきりと感心する者もあった。
すると中の一隻に随分と鵜の逃げ出す舟がおり、事故なのか単なる不手際なのかは分からぬが、手綱を握っておるはずの鵜匠には些かも動ずる風がなく、涼しい顔で平然と鵜を見送るばかりであった。
「あんな様ではろくな成果は望めまい、いずれ廃業を余儀なくされるだろう」と、考えていたのだが、終わってみると一番の水揚げは逃げ放題の舟であった。
次の日、朝も早くから父は逃げ放題の鵜匠を訪ねて行き、鵜匠も鵜匠で追い払えばいいものを、生き別れの兄弟も斯くやとばかりの歓迎ぶりで、互いに初対面である事は明白だが、何故に其れ程までの意気投合が突然に為されるものなのか、理不尽な友好にプリプリと一人で腹を立てていると、類が呼んだ友のレベルがちょうど同じくらいであり、屑野菜の炊き合わせに劣悪な素材ほど互いが素早く馴染むように、二人の友情が必然的に速成された事象を少々感心したりもしたのであった。
「手ぶらでは、間の持たん事もあるだろう」前の晩に如才なく仕入れていた酒を手渡すと、これがまた鵜匠には目のない方面の瓶であったらしく、「早速にも頂きまひょ、何ぞ肴でも」。奥へ引っ込んだ鵜匠が埃まみれになって汚い七輪を客間に引きずり出すと、鮎は大嫌いらしく、代わりにウサギの足らしきものをバタバタと煽ぎ立て、禁猟という概念の些かも持ち合せていない男の粗雑な焼きっぷりに、父は終始上機嫌であった。
さて、馬鹿が二人揃えばいつまで待っても埒が明かぬことは明白、そこで「おじさんは何で鳥を逃がして喜んでいるの」此方は此方の都合で、勝手に持ち出した茶菓子を齧りながら、昨日来の疑問をさっさと問い立てた。すると、「鵜が逃げんと上手くいかんからだ」との返事である。
奇妙な話だ。鳥を利用して魚を獲る漁ならば、肝心の鳥が逃げ出しては話しにならんだろう。どうやら子供と侮り、適当な嘘八百を並べ立てて煙に巻き、折角ありついた棚ボタの朝酒に、煩わしい冷水の差される事を嫌ったケチな腹積もりと見受けられた。
「やはりそうであったか。昨日、愚息連れで舟に乗り込み、間近に漁を拝見してからは何となくそんな気がしていた。しかし一体全体なぜなのか理由をお聞かせ願いたい」
黙っとれぇ、ダボが。人を長良川くんだりまで連れ出し、大嫌いな水場でアブやブヨの餌食にされ、あげく夜の船上では酒の肴となり、そしてとうとう今日の朝にはうまいこと朝酒と鵜匠を手に入れておいて、「こうなったのは何もかも息子のおかげです。鳶が鷹を産んだ、いや神童を産んだともいうべき、私には出来過ぎの、余りにも素晴らしい最高の息子なのです」そのくらいの事を言えないのか、アホンダラ。
「でもお父さん、肝心の鵜が居なくては漁にならないでしょう。昨晩のやり方では、何か人に言えない恥ずかしい方法でも使って漁果を得ているとしか思えませんし、きっとあの場に居合わせた他の人々も同じ事を考えているのは間違いないでしょう」
「坊ちゃん、逃げるでこそええんです。ワシが使とる此の手縄、檜を細う削ったモノを撚り合わせとるだけです。ワシのか弱い力から生み出された手縄はすぐに切れる。鮎を喰い過ぎたり、岩に挟まったりして鵜が騒ぐだけで簡単に切れる、鵜は窮地を脱して好きな所へと奔ってしまう。戻って来るタワケた鵜もおるにはおるが、大抵は二度と戻ってこん。それがええんです」
「おじさん、切れない手縄を使えば良いのではないですか」
「それが一番悪い。切れん手縄は必ず鵜を殺す。現に仲間内でも手間を嫌って麻の手縄を使う者はおる。鵜は流木や岩に挟まっても逃げる事が出来んで皆死んでまう。中には一晩で五羽六羽と殺す鵜匠もおる。隣の縄に仲間の鵜が死んで繋がれておる最中、漁にオーバーアチーブをする鵜はいない。そんでそういう鵜匠の漁果はいつも大したことがない。いざとなりゃ逃げてまえ、後は野となれ山となれ、残った奴等はせいぜい悲惨な目に遭うてミジメナ思いを共有しとれ。その楽しさが鵜のやる気を引き出す」
「すると漁には関係なしに逃げる鳥もあるでしょう」
「勿論それは有る。前より体が大きなる、力がつく、何と無う全てが嫌んなる、様々な理由で鵜は逃げ出いてまう。そこでや、奴等にはそれまでの間に稼げるだけ稼いでもらう、それがこの商売の基本や」
「しかし随分と大きな鵜も残っているようでした」
「ああ、あれらはアホや、逃げる器量もないヘタレ鵜じゃ。自分の意志も考える力もない本当の意味での飼い犬や。ワシ等が引っ張っていかにゃあ生きて行けんクズや。やけんワシ等の為、徹底的に働かせんとならん」
「何だか日本人みたいな鵜ですねぇ」
「これこれ馬鹿を言っちゃあいけません、見当違いも甚だしい、お父さんはお前をその様な人間に育てた覚えはありませんよ。穴があったら入りたいくらいです。確かに残った鵜はアホでクズかもしれません。いや、それは間違いないでしょう。しかし見たところ特に悪さをするという風でもないし、存在するだけで風紀に害を成すという訳でもない。日本人如きとは比較にならないまともな連中ですよ」
「わたくしの未だ修養が至りませんでした、鵜匠殿には何卒ご寛恕を賜りたい。お身内たる鵜を斯くの如き侮辱に至らせるなど万死に等しき罪を犯しました。また親の名誉をまでも汚したる罪、弁明の余地はありませぬ」こうなっては致し方ない、形を改めて詫びを入れた。
「ええんです、昨今の日本人とやらを見る限り、坊ちゃんが勘違いなさるのも無理はないでしょう。鵜はワシ等に首を絞められるが、日本人は自分で自分の首を絞める。その時が到るまで、必ず間に合わんと思いますが、日本人には何も出来んでしょう」
「僅かな知性を以て、人生を屁理屈の連続で切り抜けてきた今の私の生き様は、何のとりえもない汚れきった生物と断定するしかないでしょう」
「坊ちゃん、いま言うたでしょう、自分で自分の首を絞めるなて。必要以上の謙遜は卑下であり、自己保身であり、周りに対する侮辱です。なにより育ててくれた親兄弟や身内に対する許されざる愚弄です。めったなことを言うもんやない」
「天晴れ、よう言うてくれた。やはり此処へ来て良かった。もう一瓶あれば尚更によかったが」
「仕方がない、ワシのを出しましょう」
師 匠 其の弐
私は師匠を転々とした。ずっと以前に最初の師匠から「お前には神羅万象より象徴的な出来事を抽象し、それらを考察して物事の是非道理を知る能力が決定的に欠けている。いや、無いと言ってよい。だから具体的な方法を説くが、お前は此れから常に其れを実践しなければならない」。
師匠「自分が最も辛く苦しい時、死ぬよりも大変な時に人を助けなさい」
私「出来ません」
師匠「自分が最も辛く苦しい時、死ぬよりも大変な時に人の幸せを喜びなさい」
私「嫌です」
師匠「自分が最も辛く苦しい時、死ぬよりも大変な時に全ての人の苦しみと不幸を引き受け、肩代わりしなさい」
私「それくらいはお安い御用ですが、あまり出しゃばりたくありません。手柄は全て御師匠様に譲るべきでしょう」
師匠「すでにやっておるわ、お前が其の証拠じゃ」
私は修行の為、他の師匠へ弟子入りする事となった。新しい師匠は先の師匠と同じ境地に達しており、その素晴らしさは対面する者すべてを茫然自失とするほどの偉大さであったが、ただ常に処刑されてばかりで、しかも師匠一人が死ぬならまだしも、必ず弟子も連座するため、随分と色々な体験をする事となった。
それにしても、やはり可愛い子には旅をさせよ、逸物の鷹も放たねば獲らぬで、可愛いか逸物かは別としても、常に環境を一新し、事態の刷新を図らねばならぬ現実を痛感する。
新しい師匠は辻説法を能くする人で、他の弟子達はみな力み返って同行していたが、効果の殆ど望めない遊行に対して私は終始消極的かつ懐疑的であった。新しい師匠は先の師匠と違って事細かに指導する事は一切なく、修行は全て弟子達の自主性に任せていたため、私は勝手気儘にしんがりを務め、何か目を驚かす天変地異でも起きないものかと辺りを見回してばかりいた。
新師匠は縁なき衆生に救いの縁が生ずるよう、いつも手を尽くし、様々な手段を工夫することに余念がなかったため、諸般の事情により説法を聞く事が出来ぬ者、または聞きたくもないという不届き者にも縁が生じるよう、自らが出向いて捲し立てのである。
その場所は、今までに訪れたどの様な場所とも比較にならぬ不浄さと悲惨さに満ち溢れていた。そこは身体の動かぬ者たち、国や地域の人々によって、必要のない存在と認められた者たちを遺棄する場所であった。
師匠「やあ、君達こんにちは。これからの時代は全て君達の為に用意されています。」
当然ながら肢体不自由者の反応は鈍い。
師匠の身体より光が射し始めており、頭上に輝く太陽とは比較にならぬ光の奔流が認められた。全ての闇が存在を許されぬ光であり、全ての宇宙の隅々まで震撼させて幾重にも反射すると、光り輝く救いの手となり人々を照らし出すのであった。
目の前の障害者達にも正道への復活と再生の縁が生じており、掴み取るのか或いは見逃すのか、其れは一人ひとりの判断に任されていた。
[To Be Continued]